絆 Kizuna: Bonds(絆) and binds(結び付き) , connection(繋がり), competition(競争) and co-operation(協力)

2022年6月18日

Keith Tudor  キース テューダー[1]

お礼と謝辞

室城さん、温かいご紹介、そして共創の交流分析についての寛大なるお言葉をありがとうございます。

そして、日本T A協会のご招待、そして特に室城さん、安部さんの私のワークへの熱意とサポートに感謝いたします。そして、皆さんの言語で私の声になって下さる、通訳者の丸山智恵子さんのスキル、またこの基調講演の原文の翻訳をして下さった三浦理恵さんに感謝いたします。
皆さんありがとうございます。tēnā koutou katoa

はじめに

まず最初に、このたび貴大会の基調講演者にお招きいただき、大変光栄に存じます。私は幸運にも2014年に日本心理臨床学会のゲストとして初めて日本を訪れ、その際に何人かの皆さんとお会いして一緒に仕事をすることができ、その後、日本の同僚たちとさらに専門家としての関係を楽しんできました。短い滞在でしたが、私はずっと日本に戻りたいと思っていましたので、今日はぜひ皆さんと対面にてご一緒したかったのですが、これが今の最善策でしょう。

もし私が皆さんと直接会っていたら、他に紹介としてすること、すべき事、言うべき事があるかどうかわかりませんが、私はニュージーランド、アオテアロアにいて、そこからお話をしているので、私が祖国と決めた、そこの第一言語で少し話をしたいと思います(これについては後で少し説明します)。

E ngā makawaka, e ngā mana, e ngā reo, e ngā rangatira ma, tēnā koutou, tēnā koutou, tēnā koutou katoa.
Ngā mihi o te rā,
Ngā mihi ki ō koutou wānanga, me ō koutou hui, me te kaupapa o te rā.
Ko Hellvellyn te maunga, ko Don te awa, ko Waka Oranaga te waka.
Kei te whenua o Te Kawerau a Maki maua kainga nainei – tenā koe.
Ko Keith tudor taku ingoa.
Tēnā koutou, tēnā koutou, tēnā koutou katoa.

サムライ映画、寿司、日本酒を楽しむ以外に、私には日本と二つのつながりがあります。ひとつは、私の著書の一つ『パーソン・センタード・サイコロジー事典』(日本語版は「ロジャーズ辞典」)が日本語に翻訳されたことです。

図1.「 パーソン・センタード・サイコロジー辞典」(Tudor & Merry, 2002)(日本語版は「ロジャーズ辞典」)

(図1は、https://www.kongoshuppan.co.jp/book/b514527.html 参照。)

日本語は読めませんが、出版社から送られてきたコピーを初めて見たとき、言葉のイメージの美しさに衝撃を受け、今でも大切にしています。

2つ目のつながりは、日本人の同僚である小宮昇さんと共著で論文を書いたことです。この論文は、彼がここオークランドの私の大学で客員准教授をしていたときの共同研究をもとにしたもので、「『空気を読む』、共通のグラウンドを見つける」日本におけるセラピーを理解するための枠組みとしてロジャースの治療条件を再考する」(Komiya & Tudor, 2016)というタイトルです。

図2 記事の内容 “空気を読む”(Komiya & Tudor, 2016)(図2は都合により割愛しております。)

昇さんとの共同研究は今も続いていて、今年中に出版できるように、今回は日本語で別の論文を書きました。この協同を誇りに思い、光栄に思う理由は二つあります。

一つは、真に異文化間の心理学、つまり、西洋(アメリカの心理学のモデル)と東洋(特に日本)の両方の文化を代表する心理学の発展に取り組んでいることを示すものだからです。あまりにも長い間、西洋の心理学は、普遍性と中立性という誤った概念に基づいて、優位で支配的な立場をとり、その両方が他の文化、そして心理学を含むその知的、学問的伝統を中心から外れたものとしてきました。交流分析におけるその一例が、自律性という概念の中心性であり、これは西洋の個人主義と自我の概念に基づいていると私は主張します。私は西洋(および北半球)で生まれ育ち、西洋の知的伝統の中で教育を受けましたが、その伝統の中で、多くの前提に疑問を投げかけ、それを脱構築しようとする批判的な視点を持っています。このことは、文化への強い関心とともに、長年にわたり、心理学と心理療法、理論と実践のさまざまな側面に関する多くの異文化間共同研究へと私を導いてきました – Singh and Tudor (1997), Naughton and Tudor (2008), Komiya and Tudor (2016), Ioane and Tudor (2017, 2022-出版), Haenga-Collins et al. (2019), Pomareら(2021), Haenga-Collins and Tudor (2022), Riversら(2022) , Tudorら(2022)。

この論文を誇りに思う二つ目の理由は、論文を書くにあたって、理論の展開や執筆を含む人生における美学の重要性について、のぼさんと議論したことによります。「wa和」-「調和」と「amae甘え」-「共依存」;「bi美」-「美学」と「haji恥」-「照れ」;「sassuru察する」-「非言語の感覚」と「omoiyari思いやり」-「他への考慮」;「kuki wo yomu空気を読む」-「空気を読む」と「enryo遠慮」-「自制」という四つの対の概念について、昇さんと私は議論したのです。この講演が、いくつかのキーポイントを押さえた上で、興味をそそる、敬意を表した、刺激的で美学的になることを期待しています。

最後に紹介として、私は心理療法士の資格を持っていますが、カウンセリング(青少年カウンセラーとして数年)、教育(教育者/トレーナーとして約35年)、組織(この7年間はマネージャーとして働くなど、仕事人生の中ではほぼずっと組織と関わり、その中で働いてきた)など、交流分析のあらゆる分野と関わり、知識を持っています。この講演が、どのような分野で活動されている交流分析家の皆さんにとっても、重要な示唆を与えることとなると願っています。

絆 キズナ

この基調講演の依頼を受け、会議のテーマを意識して、早速「キズナ」という言葉を調べたところ、アーティスト金澤翔子さんの次のような画像を見つけました。

図3. 金澤翔子による「絆」(2011年)(掲載は、権利の都合上、類似の別の作品を同氏よりご提供いただきました)

 

これは、日本と世界を結ぶことを目的とした政府機関誌「きずな」の創刊サイト「JapanGov(2022年)」にも表れています。書と雑誌の両方を紹介するサイトでは、次のように英語で記されています:

この大胆な書は、日本語で「絆」です。キズナとは、人と人との永続的な結びつきを意味し、相互の信頼と支援によって築かれる親密な関係を意味する。

元々は、馬や犬などの家畜を繋ぐ縄のことであったが、時代とともにキズナの意味は変化してきた。13世紀に編纂された『平家物語』では、父と子の愛の絆(bonds)を意味する言葉として使われている。最近では、家族や親しい人たちとのキズナだけでなく、より広い意味での人間の結び付きやつながりを指すようになった。特に、自然災害時に人々の間に生まれるキズナは、連帯感を育み、苦難を乗り越えるための底力となる。

また、世界の国々で育まれたキズナには、より良い未来に向けた協力関係を深める力がある。

また、2011年(3月11日)には、その年の津波による影響を考慮して「絆」がその年の漢字に選ばれたことは、皆さんもご存じでしょう。

今、私たちは、ロシアのウクライナ侵攻とそれに伴う戦争という、もうひとつの災害に遭遇しています。私も含め、私たちの多くはウクライナ人とロシア人の両方の同僚たちがおり、この紛争に直接的、間接的に巻き込まれているすべての人に思いを寄せ、心を寄せています。紛争がますます激化しているように見えるこの世界において、私たちはこれまで以上に、絆、関係、信頼、サポート、愛、結びつき、つながり、協力が必要だということを痛切に感じています。

そこで、この基調講演では、この大会のテーマを詳しく説明します。「絆」”キズナ” は、人と人との永続的な結びつきを意味します。接触(contact)を持つことの重要性を出発点として、まさに「契約の前に接触」と言うこと、援助や治療を含む人間関係の基礎となる絆(bonds)の概念、また肯定的なものと問題点を含む結びつき(binds)の概念を探求していきます。そして、急進主義的な精神医学の伝統に学びながら、競争によってつながり(connection)がどのように破壊され、損なわれ、協力によって修復され、育まれるのかを考えていきます。

Bond ボンド 絆

英語では、絆(bond)という言葉は関連する3つの意味を持っています(Online Etymology Dictionary, 2022)。

  1. 契約や協定(14世紀初頭から)。「口にしたことは絶対に守ります。(武士に二言はない)my word is my bond」という表現に見られるように、法律や商業で使用されるようになった。
  2. 束縛し、締め付け、閉じ込めるものすべて(13世紀初頭の西暦紀元[CE]から)、後に、力や影響力を結びつける、まとめることを意味する用法が生まれた。
  3. レンガを積む方法(1670年代から)。

絆(bond)が心理学で使われるのは、これらの意味のうち最初の意味においてで、人間の絆(bonds)というと、母親と赤ん坊の愛着、あるいは平家物語のように父親と子供たちの愛情など、愛着について考えることが多いですが、先に述べたように、キズナという概念はこの絆(bond)の意味を、家族を超えてより広い人間の結び付き、つながりという意味へと拡張するものです。

しかし、この最初の意味においても、二律背反があることは明らかで、後で触れるように、一方では結びつける、留めるという意味、他方では閉じ込める、制限するという意味の間に緊張関係があることを私は示唆します。

心理療法用語としては、グリーンソン(Greenson)(1967)が精神分析的伝統の中で治療関係の構成要素として、作業同盟を挙げたのに続き、ボーディン(Bordin)(1975)は、この同盟は情緒的な絆と、そうした治療の目標や課題についての合意からなることを示唆しています。その後、ゲルソーとカーター(Gelso and Carter)(1985)は、治療関係についてのワークにおいて-彼らは治療関係を作業同盟、転移(「非現実的な」関係)、そして現実の関係から成るとみなしている-次のように論じています。「私たちは、ボーディンの定式化を拡張して、作業同盟は、情緒的なきずな、目標に関する合意、課題に関する合意によって育まれ、養われる情緒的な調整であると示唆します」。(p. 163; 私の強調) 私は、ワークができるようにするために、クライアントとセラピスト(ひいては他の援助関係の当事者たち)が、相互の調整のためにお互いが協調して積極的に働くことを示唆するゲルソーとカーターの調整の概念の導入が気に入っています-そしてそれは暗黙のうちに、どのような不均衡をもプロセスし、対処しているのです。

交流分析では、絆についての議論はほとんど行われていません。絆に関しての論文は、Transactional Analysis Journal(TAJ)に2本(Erskine, 2002, and Drego, 2009)だけで、どちらも絆にはあまり焦点が当てられていません。(治療的)関係におけるBonding 絆づくりに言及し,アースキン(Erskine)(2002)は次のように提案しています。「Bonding 絆づくり,愛着,つながることはすべて,……関係に対する生物学的に必要不可欠な側面である。そのため、関係性のニーズは、私たちの人生を通じて存在するBonding 絆づくりと関係の構成要素である。” (p.256) 私は、アースキンとその他の関係性のニーズに関する研究(すなわち、Erskine et al, 1999; Erskine & Trautmann, 1996)が、私たちが生涯を通じて必要とする関係性の構成要素、すなわち、以下のものを特定する上で非常に有用だと考えています。

  • 安心のため
  • 人間関係における妥当性、肯定感、および重要性のため。
  • 安定した、信頼できる、保護的な他者による受容のため。
  • 個人的な経験の再確認のため。
  • 自己定義のため。
  • 他者への影響力をもつため。
  • 相手にイニシアチブをとってもらうため。
  • 愛を表現するため

このスピーチの準備のためにこれらを再読したとき、私はウクライナの現状とこれらの関係性のニーズを満たすための他の国々の政治的失敗との関連性を考えずにはいられませんでした。このことを述べたのは、それが現実の問題に直結していると思うからだけでなく、私が社会心理学や、TA理論の社会・政治世界への応用に関心があるからです(Massey, 2007; Tudor, 2020を参照のこと)。

ドレーゴ(Drego)(2007)は次のように述べています。

絆づくり(bonding)とは、無条件に受け入れ、愛と温もりと互恵性をもって他者または他者と関わるという肯定的な態度を持つことと見なされている……。絆づくりのイメージは、乳児のベビーベッドを超えて、親近感、相違、衝突、収束といった現実の世界へと私たちを導いてくれる。(p. 3)

ドレーゴは健康の3つの自我状態モデル(したがって、肯定的で歴史的な「子ども」の自我状態という概念)を用いていますが、アースキンとドレーゴ両者の研究は、他の人間、そして間違いなく人間以外の世界との絆の重要性を、それが大人、-そして「成人」-「成人」-で永続的な方法で理解するためのサポートを私たちに与えてくれています。

Binds バインズ(結び付き)

先に述べたように、結び付き(bind)という単語は絆(bond)という単語と関連しています。bindは、そして実際、ベルト(ひも)は締め付けることが出来、夫婦の絆のような絆を表すことができます。しかし、束縛されること、縛られることはより否定的な連想があり、TAでは、bindという単語は、例えば、愛の結び付きlove bind (Morris & Morris, 1982), 二重の結び付きdouble-bind (Massey, 1986)と独立した結び付き, the independent bind (Little Horse, 1988) といった否定的なゲームと主に関連付けられています。コーネル(Cornell)(1994)は、カウフマン(Kauffman)(1988)の恥の束縛感情という考え方に基づき、関係性の観点から、罪悪感、不安、抑うつ、恥など多くの束縛感情が「より明確に区別された感情を束縛し、しばしば不明瞭にする」点について論じています。(p.140) 彼は続けて、

拘束的な感情状態は個人を固定化し、心理的・対人的な防衛の原始パターンを引き出す傾向がある。より明確な感情(怒り、悲しみ、恐れ、興奮、愛、情欲、欲望など)は、これらのより強い感情状態の力の中で失われてしまう。(p.140)

コーネルは、次のように述べ、有用な区別をしています。「健全な感情は人の思考を豊かにし、行動を動機づけるが、拘束的な感情はそうならない。」(p. 140) 私はコーネルのこの事に関する研究に感謝しています。私はこのことがきっかけで、カウフマンを再読しました。カウフマン (1988) は、恥の永続的で拘束力のある影響と、「対人関係の橋の破壊」 (p. 11) を伴う自己不全の経験について書いています。言い換えれば、もし私たちが自分の中でがんじがらめになり、自分自身に縛られているならば、私たちは他者に手を伸ばさないし、他者が私たちに向かって手を伸ばしてくるのを見ることもないのです。この意味で、ゲームとしてのバインドやダブルバインドに関する初期の文献(1980年代)は、個人、グループ、組織、国家が、他者とのつながりを避け、関わらないという脚本をどのように展開し、確認しているかを理解する上で役に立つかもしれません。そしてそれはまた、私たちが宥和(ゆうわ)政策の背後にある心理を理解するのにも役立ちます。

Connection コネクション (繋がり)

TAでは、少なくとも理論的には、つながりという概念は過小評価されてきたと思います。実際、TAJでこのテーマを扱った論文は50年以上にわたって1つしかなく(Erskine et al.2001)、その論文は統合失調症のプロセスに関するものであるため、実際にはつながりよりも引きこもりによる断絶に焦点が当てられています。

バーン(Berne)(1970/1973)は、その著書『Sex in Human Loving』の中で、人間の接触への飢えについて書いていますが、それは視覚、聴覚、皮膚、触覚、身体的ストロークという観点で行っています。彼はこの欲求と他の飢餓(刺激、認知、性的、構造、出来事)について重要な事を述べていますが、これを人間 human beingの本質、つまり、人間は存在論的につながっており、したがって、関係的であるということと結びつけてはいないのです。このことは、(少なくとも英語では)よりテクニカルに聞こえる「接触している」よりも、「他の人、又は他の人たちとつながっている」方がより関与し、関係性があるように聞こえることから、重要であると私は提案します。この違いを探る中で、ソーシャルネットワーク「Linkedin」に関して、接触(contact)とつながり(connection)の違いを明確に定義しているものを見つけ、興味を持ちました。

接触(contact)とは、あなたがメッセージや招待状を送った相手のことです…。一方、つながり(connection)とは、第一度のつながりがある連絡先のことです。つながり(connection)は、ユーザーがつながりへの招待状を送り、相手がそれを受け入れることで成立します。(Tworney, 2020; 私の強調)

明らかに、すべての接触がつながりをもたらすわけではなく、実際、より大きな断絶をもたらすものもあります。私がここで考えているのは、ソーシャルメディアの投稿における「接触(コンタクト)」の中には、否定的、罵倒的、暴力的で、非常に個人的で分裂的なもののことです。

このような理由から、私はトウォーニー(Tworney)の区別は非常に有用であり、TAで強調されている契約と請負の双方向性に呼応するものであると思います。しかし、ここで問題なのは、バーン(1966)に倣って、一般的に契約とは「明確に定義された行動方針に対する明示的な双方向の合意」(362頁)と考えられている一方で、TAでの私の経験では、「契約」はほとんど双方向でないか、少なくとも明示的にそうではない、ということです。例えば、CTAの受験生を審査していると、契約とはクライアントが心理療法、カウンセリング、教育、組織的な仕事に対して何を望んでいるか、あるいはセラピストがクライアントが何を望んでいるかを把握しているかである、と述べられる場に出会うことがよくありますが、その合意やプロセスにおける受験生の役割について説明されていることはほとんどありません。さらに、私が「契約におけるあなたの役割は何ですか」と尋ねると、受験者から、そして時には私の試験官仲間からも、ポカンとした顔付きをされることがよくあります。多くの場合、そこでの契約として成立しているものは、単に目的や目標に過ぎません。これは、契約の双方向性を誤解しているだけでなく、TAアナリストとクライアント、クライアントたちとの間に断絶があることを表していると私は思います。

ある理論家は、接触(contact)を関係性と同義とみなし(例えば、Rogers,1957,1959)、またある理論家は、心理療法の成功と失敗を区別する因子とみなしています(Frank、1978;Yalom、1980)。接触(contact)の考察においてモーサンド(Moursund)(1985)は、パールズ(Perls)の接触(contact)の概念(Perls et al., 1951)をバーン(1961/1975)の親密性の概念と同じと考え、バン ヴィークムとクリフスマン(van Beekum and Krijgsman)(2000)は、良い接触(contact)と自律性を同一視しています。私は、これらの実践者や思想家の仕事を高く評価していますし、彼らの発言や記述には多くのことが含まれています。しかし、私は異なる言葉や概念を同一視することは混乱を招くと考え、接触(contact)とつながり(connection)を分けて考える方が良いと考えています。

このように、「接触(contact)は契約に先行する」というLee(1997)の主張(p.101)を称賛、同意しつつ、私は、契約の前につながり(connection)に働きかけことがより正確―そして交流的―であるので、この順序はより全面的かつ正確にこう表現されることを提案します。

接触(contact)→ つながり(connection)+相互作用(reciprocation)→ 契約(contract)

和辻哲郎の仕事のいくつかの哲学的な読本、特に、人間(ningen)という言葉と「人の間柄性」(和辻、1996)(すなわち、Johnson、2016;Kruger、2013;Maraldo、2002)を引用しながら、サントス アレクサンドル(Santos Alexandre)(2021)は次のように提案しています。

私たちは、必ずしも「個人」について考えるのではなく、個人と彼らが置かれているコンテクストとの間に展開されるものについて考えるよう誘われているのです。私たちが人間であるのは、必然的に他の人間とともに存在するからではなく(私たちは社会的存在である)、私たちがザウ(汝)や世界との関係から現れ、出現するものに注意を払うことで存在しているからなのです。

これを存在論的に考えると、TAでは、(私は存在するそして/あるいはあなたは存在する)というよりは「私たちは存在する」が基本的な人生の立場であることを前提としてきました(Tudor, 2016)。これを認識論的に考えると、人と人とのつながりに注目するということは、「その間柄」から生まれる知識に注目する必要があるということです。例えば、私たちは次のようなものを見慣れています。

「私はOKである、あなたはOKである」、あるいは時としてこう書かれることもあります。「私はOKであるーあなたはOKである」です。

私はOKかもしれないし、あなたはOKかもしれませんが、間柄と関係性の観点から見ると、その質問は、「私たちの間の句点やハイフンはどうなのでしょうか?」なのです。

サントス・アレクサンドル(2021)は、日本の文化や社会の例を参照しながら人類学について論じた論文で、異なる人々や文化が世界を理解するための概念について、もう一つ重要な指摘をしています。彼は、自己、個人、アイデンティティの概念について書いています。TAには中心的な概念として自我状態がありますが、これは西洋の自我心理学に由来するもので、少なく見積もっても部分的であると言えますし、より深い意味で問題を含んでいると私は考えています。人類学が通常、人間関係における文化的差異をどのように扱うかについて、サントス・アレクサンドル(2021)は次のように提案しています。”この動きの中には、共有された(人間関係への)道徳的理解を、概念的カテゴリーとその認知、心理、主観的(あるいはその他の)プロセスの分析に還元する「ゲシュタルトの誤った概念化」に似たものがある。” (p. 1) したがって、自我状態などの概念的カテゴリーを別の知的・文化的伝統に押し付けるのではなく、真の対話(Gadamer, 1975)の形をとりうる他者との関係が必要であると提案します。そうした対話は、サーモンド(Salmond)(2017)が「宇宙論の衝突」(p.413)と呼ぶもの、植民地化を含む歴史、その結果がここニュージーランドのアオテアロアを含む先住民の生きてきた現実、そして現在の権力と力の表現について説明する必要があるのです。もしこれができれば、サントス・アレクサンドル(2021)が「視野の融合」と呼ぶ、それぞれの視野や準拠枠が高められ、昇さんと私が「共通のグラウンド」と呼ぶものを見出すことができるかもしれません。

ここニュージーランドのアオテアロアで私が行っていることのひとつは、(この講演と論文の冒頭で行ったように)テ・レオ・マオリ(マオリ語)で自己紹介をすることです。私はこのことを、自分の紹介をする前に特定の地理的な特徴(山や川)と交通手段(ワカまたは航海用カヌー)、そして私が住んでいる土地の人々のイウィ(または部族)に感謝の念を示すことで行いました。

この講演では、つながり(connection)と断絶に関する神経科学には触れていませんが、このテーマについて、私の妻であるルイーズ・エンブルトン・テューダー(Louise Embleton Tudor)(2022)が書いた素晴らしい論文が出版されたばかりで、彼女とは、このテーマについて私たちの特定の視野を融合する別の論文を書く予定であることをお伝えしておきます。

この講演の第三部では、つながりの重要性について述べた後、つながりの抑制力と推進力(Lewin, 1952)、つまり、競争と協力のそれぞれについて考えてみたいと思います。

Competition 競争

私がTAに惹かれた理由の一つは、その急進主義的な精神医学の伝統にありましたが、(1980年代の半ばから後半にかけて)、私はその伝統が、T Aではあまり教えられていないし、語られてもいないことに気づきました。とはいえ、T Aの競争と協力についての思考を最もよく提供しているのは、主にクロード・スタイナーらの初期の著作(The Radical Therapy Collective, 1971; Roy & Steiner, 1988; Steiner, 1972, 1975, 2001; Wyckoff, 1970, 1975, 1976)に基づくこの伝統なのです。シフ(Schiffs)らは、競争について、彼らの見解においてそれは病理的な共生の結果として起こる事として簡単に書いており、次のように述べています。「私たちの社会では、ほとんどの人にとって、競争という準拠枠は避けられない。比較をすることは私たちの思考の中に組み込まれているので、私たちの多くにとって、それらなしで思考する事はほぼ不可能になる。(Schiff et al., 1975, p.73) スタイナー (1984) は、競争性と個人主義を結びつけています。

スタイナーや他の急進的な精神科医(つまりセラピスト達)にとって、人は力の不均衡のために競争的になると言っています。スタイナーは、「権力の不均衡や権力濫用の受容は、階層と競争を通じて私たちに叩き込まれ、そのどちらもアップルパイのようにアメリカ的である」(Steiner, 1988d, p. 14)と書いています。これは、ガルシア(Garcia)(1984)がアメリカの文化的脚本の問題として競争について執筆した際に展開された分析でもあります。

権力、とりわけ他者に「対する権力」の分析は、急進主義的な精神医学の中心であり、その疎外論、つまり抑圧+神秘化+孤立と同一視する概念に通じてきました(Marcus et al,1971)。これはスタイナーの元々の脚本マトリックス(Steiner, 1966)に明示されており、両親の下に子供を配置することで、このような関係における力の差を視覚的に表現しているのです。スタイナー(1974)は、著書『Scripts People Live』の中で、パワープレー(やり取りとゲームの型)と無力(脚本の一種)という概念を用いて、TA理論に付加しています。後年、この貢献を振り返って、スタイナー(2020)はこう書いています。

誰もが求める、あるいは拒絶する権力の形態は支配の力であり、私たちは支配、パワープレイ、競争が跋扈する社会に生きていると私は主張した。私は、パワープレ-とは、他人を支配することを目的としたやり取りであり、相手がやりたくないことをやらせたり、逆に相手がやりたかったことをやらせないようにしたりすることだと定義した。(Steiner,2020,p.150)

治療の面では、初期の急進主義的な精神科医たちは、主にグループで活動し、「豚(親)」あるいは「批判的な親」(Wyckoff & Steiner, 1971)と否定的なストローク経済(Steiner, 1971)に、ストローキングという方法で対峙し、その演習のいくつかは、後にスタイナーが展開する感情リテラシー(Stiner, 1984)を予見するものでした。シフら(1975)は、「治療構造は、効果的であるためには、競争力の強調を抑えるものでなければならない」(p.74)と大々的に、しかもかなり根本的に述べています。これを行うために、彼らは治療者が必要とすることを示唆しています。

  • 誰か他の人を犠牲にすることなく、必要なものを手に入れることができる、とクライアントを安心させること。
  • 「(クライアントの)犠牲者ストロークへの投資を打ち破る」(p.74)こと;そして
  • シフらが競争構造において非常に重要であると考える心の動揺(agitation)に立ち向かうこと。

競争に対する働きかけという点で、急進主義的な精神科医たちは協力することを強調しました。

Co-operation協力

興味深いこと、そしておそらく重要なことに、TAJには競争に関する論文が4本発表されている一方で(Garcia, 2017; King & Kokkelenberg, 1985; Persi, 1992; Vanderburgh, 1977)、協力に関する論文はアースキン(Erskine)(2008)の1本のみで、彼は協力という言葉を調査して報告したにもかかわらず、急進主義的な精神医学文献を一切引用していません。

急進主義的精神医学では、競争は権力の必要性によってやり取りされるものである一方、協力は権力闘争から解放されたものであると分析します。この目的のために、スタイナーらは協力について書き、実践しました。この用語の使用者はロバート(ボブ)Robert (Bob)・シュウェベル(Schwebel)の功績(Jenkins et al, 2020を参照)だとされています。スタイナーは、秘密も嘘も救助も権力闘争もないことを特徴とする「協力契約」を開発しました(Steiner, 2009; Wyckoff, 1977)。彼は、協力とは具体的に次のように定義しています。

誰もが平等な権利を持ち、(1)パワープレー、(2)嘘と秘密、(3)救助のない関係・・・。パワープレーを使わないというのは、人が強制されなければやらないようなことを強要しない、ということである。(Steiner,1981、p.731)。

協力の理論と実践は、急進的精神医学の問題解決グループ(Wyckoff,1980)や感情リテラシー研修グループ(Oberdieck、2020参照)に情報を与えることになりました。また、スタイナーは、協力的な関係のルールについて書いており、これは感情リテラシーの重要な部分となりました(Steiner, 1984)。最後に、スタイナー(1981d)は「集合的なパワー」をあげ、それを「人々が共に生き、愛し、働く能力」(p.729)と表現しています。

TAへの共創のアプローチの中心にあるのは協力です。

共創的交流分析は、このフレーズが示すように、治療的、教育的、および/または相談的かどうかに関わらず、専門的関係の「共に」(相互、共同)の側面を強調し-そして暗黙的には、人の関係性についての、心理学のこの特定部門へのアプローチです。共創の「共」はパートナーシップと同様に、やり取り、相互関係、相互、共同、共働を信認しています。(Tudor,2014,p.xix)

共に生き、愛し、働き、創造し、共創する潜在的可能性において、私たちは互いのつながりを作り、維持し、深め、広げていく必要があるのです。このことは、生命、地球、そして私たちの種の存続に関して、常に重要なことなのです。前の文章で、私がこれらの言葉を並べた順番にお気づきでしょう。生命、地球、そして私たち不完全な人類が生き残ることを保証するためには、さまざまなレベルで協力し合うことが必要だと、私には思えるのです。

  • 価値論的・倫理的に – 他者を第一に考えることで、レヴィナス(Levinas) (1990), デリダ(Derrida) (1999),リカールRicœur (2006)の仕事を参考にしています。
  • 存在論的には、私たち人間がつながり、相互依存し、関係し合う存在であることを知ることによって、哲学、文化、政治、心理学のさまざまな理論に基づいています。
  • 認識論的には、知識は中間的なもの、すなわち他者との関係から生まれるものであり、まず間違いなく、人間ではない他者との関係であることを認識することによって、ブーバー(Buber)(1933)等の著作を参考にしています。
  • 方法論的には、関係性、特に癒しの関係性を強調する理論に基づき、タフト(Taft)(1933/1973)ロジャーズ(1957,1958,1959,1961/1967)、バーン(1961/1975)などを参考にしています。
  • 実践的(方法論的)には、協力的で温かくもてなすことは、スタイナーらの仕事だけでなく、オレンジ(Orange)(2011,2012)にも注目しました。

これはもちろん、この事についての一つの知的な表現ですが、一方、これが基調講演です!
けれども、私はもっと詩的な表現もしようと考え、皆さんになじみのある形で表現してみました。

俳句

協力(コ・オペ・レー・ショ・ン)
5音節すべてが要る
暖雨に佇む

おわりに

この講演で、皆さんと、そして皆さんにとっての「つながり」と「キズナ」の重要性について、本大会のキーポイントを押さえることができたと願っています。ご清聴ありがとうございました。

※訳者より:
類似する語彙には英語を併記しました。
引用著者名については初めに出てきた時はカタカナ+英語表記、二度目以降はカタカナ表記としました。(三浦理恵)


[1] Keith Tudor, PhD, TSTA(P) オークランド工科大学教授、心理療法研究グループ共同リーダー。35年以上にわたって交流分析に携わり、TAに関する多くの論文、書籍の著者である。近著には、Claude Steiner, Emotional Activist (Routledge, 2000)がある。

 

参考文献

Berne, E. (1966). Principles of group treatment. Grove Press.
Berne, E. (1973). Sex in human loving. Harmondsworth. (Original work published 1970)
Berne, E. (1975). Transactional analysis in psychotherapy: A systematic individual and social psychiatry. Souvenir Press. (Original work published 1961)
Bordin, E. (1979) The generalizability of the psychoanalytic concept of the working alliance. Psychotherapy: Theory, Research and Practice, 16, 252-60. https://doi.org/10.1037/h0085885
Cornell, W. F. (1994) Shame: Binding affect, ego state contamination, and relational repair. Transactional Analysis Journal, 24(2), 139-146. https://doi.org/10.1177/036215379402400209
Derrida, J. (1999). Adieu to Emmanuel Levinas (P-A. Brault & M. Naas, Trans.). Stanford University Press.
Drego, P. (2007). To exist and co-exist. Workshop presented at the Third International TA Conference sponsored by the TA Association of Singapore, Singapore.
Drego, P. (2009). Bonding the Ethnic Child with the Universal Parent: Strategies and ethos of a transactional analysis ecocommunity activist. Transactional Analysis Journal, 39(3), 193-206. https://doi.org/10.1177/036215370903900303
Embleton Tudor, L. (2022). Breath and the dynamics of connection and disconnection: A neuro-scientifically informed perspective. Person-Centered & Experiential Psychotherapies, 21(2), 112-128. https://doi.org/10.1080/14779757.2022.2067780
Erskine, R. G. (2002). Bonding in relationship: A solution to violence? Transactional Analysis Journal, 32(4), 256-260. https://doi.org/10.1177/036215370203200406
Erskine, R. G. (2008). Cooperation, relationship, and change. Transactional Analysis Journal, 38(1), 31-35. https://doi.org/10.1177/036215370803800105
Erskine, R. G., Hargaden, H., Jacobs, L., Little, R., O’Reilly-Knapp, M., Sills, C., Weil, T., & Yontef, G. (2001). Withdrawal, connection, and therapeutic touch: A roundtable on the schizoid process. Transactional Analysis Journal, 31(1), 24-32. https://doi.org/10.1177/036215370103100104
Erskine, R. G., Moursund, J. P., & Trautmann, R. L. (1999). Beyond empathy: A theory ofcontact-in-relationship. Brunner/Mazel.
Erskine, R. G., & Trautmann, R. L. (1996). Methods of an integrative psychotherapy. Transactional Analysis Journal, 26(4), 316-328. https://doi.org/10.1177/036215379602600410
Frank, J. (1978). Psychotherapy and the human predicament. Shocken Books.
Garcia, F. (1984). Competition: A cultural script Issue in the USA. Transactional Analysis Journal, 14(1), 44-47. https://doi.org/10.1177/036215378401400108
Gadamer, H. G. (1975). Truth and method. Seabury.
Gelso, C. J. & Carter, J. A. (1985) The relationship in counseling and psychotherapy: Components, consequences and theoretical antecedents. The Counseling Psychologist, 13(2), 115-243. https://doi.org/10.1177/0011000085132001
Greenson, R. R. (1967). The technique and practice of psychoanalysis. Vol. 1. International Universities Press.
Haenga-Collins, M., Solomon, M., Woodard, W., Rodgers, B., & Tudor, K. (2019). Bicultural encounter. Person-Centered & Experiential Psychotherapies. 18(3), 255–273. https://doi.org/10.1080/14779757.2019.1650806
Haenga-Collins, M. (Ngāti Porou, Te Aitanga a Māhaki, Ngāi Tahu) & Tudor, K. (Tangata Tiriti). (2021). Racism in New Zealand. Journal of Critical Psychology, Counselling and Psychotherapy, 21(4), 40-58.
Ioane, J., & Tudor, K. (2017). The fa’ásamoa, person-centred theory, and cross-cultural practice. Person-Centered and Experiential Psychotherapies, 16(4), 287-302. https://doi.org/10.1080/14779757.2017.1361467
Ioane, J., & Tudor, K. (2022-in press). Family-centred therapy: Implications of Pacific spirituality for person-centred theory and practice. Person-Centered and Experiential Psychotherapies.
JapanGov. (2022). Kizuna: Linking Japan and the world. https://www.japan.go.jp/kizuna/about_kizuna.html
Jenkins, B., Morrison, E., & Schwebel, R. (2020). Radical therapy: From the first decade onwards. In K. Tudor (Ed.), Claude Steiner, emotional activist: The life and work of Claude Michel Steiner (pp. 116–130). Routledge.
Johnson, D. W. (2016). Watsuji’s topology of the self. Asian Philosophy, 26(3), 216-240. https://doi.org/10.1080/09552367.2016.1203476
Kaufman, G. (1988). Shame: The power of caring. Shenkman Publishing.
King, L., & Kokkelenberg, L. (1985). Competitive structures — Their sevelopment and diagnosis. Transactional Analysis Journal, 15(4), 263-268. https://doi.org/10.1177/036215378501500404
Komiya, N., & Tudor, K. (2016). “Reading the air”, finding common ground: Reconsidering Rogers’ therapeutic conditions as a framework for understanding therapy in Japan. Asia Pacific Journal of Counselling & Psychotherapy, 17(1&2), 26-38. https://doi.org/10.1080/21507686.2016.1157088
Krueger, J. (2013). Watsuji’s phenomenology of embodiment and social space. Philosophy East & West, 63(2), 127-152. https://doi.org/10.1353/pew.2013.0016
Lee, A. (1997). Process contracts. In. C. Sills (Ed.), Contracts in counselling (pp. 94-112). Sage.
Levinas, E. (1990). Nine Talmudic readings. Indiana University Press.
Lewin, K. (1952). Field theory in social science. Tavistock.
Little Horse, B. (1988). The “Be independent, ha, ha” bind. Transactional Analysis Journal, 18(4), 316-320. https://doi.org/10.1177/036215378801800407
Maraldo, J. C. (2002). Between individual and communal, subject and object, self and other: Mediating Watsuji Tetsuro’s hermeneutics. In M. F Marra (Ed.). Current debates on aesthetics and interpretation (pp. 76-87). University of Hawaii Press.
Marcus, J., LaRiviere, P., & Goldstine, D. (1971). Community organizing and radical psychiatry. Berkeley [Special issue]. The Radical Therapist, 3(2).
Massey, R. F. (1986). Paradox, double binding, and counterparadox: A transactional analysis perspective (A response to Price). Transactional Analysis Journal, 16(1), 24-46. https://doi.org/10.1177/036215378601600105
Massey, R. F. (2007). Reexamining social psychiatry as a foundational framework for transactional analysis: Considering a social-psychological perspective. Transactional Analysis Journal, 37(1), 51–79. https://doi.org/10.1177/036215370703700109
Morris, F. R., & Morris, D. G. (1982). The love bind. Transactional Analysis Journal, 12(4), 284-287. https://doi.org/10.1177/036215378201200414
Moursund, J. (1985). Contact, intimacy, and need. Transactional Analysis Journal, 15(2), 116-119. https://doi.org/10.1177/036215378501500202
Naughton, M., & Tudor, K. (2006). Being white. Transactional Analysis Journal, 36(2), 159–171. https://doi.org/10.1177/036215370603600208
Oberdiek, H. (2020). On emotional literacy. In K. Tudor (Ed.), Claude Steiner, emotional activist: The life and work of Claude Michel Steiner (pp. 182-190). Routledge.
Online Etymological Dictionary. Bond. https://www.etymonline.com/
Orange, D. M. (2011). The suffering stranger: Hermeneutics for everyday clinical practice. Routledge.
Orange, D. (2012). Clinical hospitality: Welcoming the face of the devastated other. Ata: Journal of Psychotherapy Aotearoa New Zealand, 16(2), 165–178. https://doi.org/10.9791/ajpanz.2012.17
Perls, F. S., Hefferline, & Goodman. (1996). Gestalt Therapy. Gestalt Journal Press. (Original work published 1951)
Persi, J. (1992). Top gun games: When therapists compete. Transactional Analysis Journal, 22(3), 144-152. https://doi.org/10.1177/036215379202200304
Pomare, P., Ioane, J., & Tudor, K. (2021). Racism in New Zealand psychology, or is Western psychology a good thing? 1n C. Newnes (Ed.). Racism in psychology: Challenging theory, practice and institutions (pp. 110–130). Routledge.
The Radical Therapist Collective. (1971). The radical therapist (J. Agel, Producer.). Ballantine Books.
Ricœur, P. (2006). On translation (E. Brennan, Trans.) Routledge. (Original work published 2004)
Rivers, S., Rodgers, B., May, J., & Tudor, K. (2022-in press). On – and in – bicultural encounter. Person-Centred & Experiential Psychotherapy, 21(2).
Rogers, C. R. (1957). The necessary and sufficient conditions of therapeutic personality change. Journal of Consulting Psychology, 21, 95–103.
Rogers, C. R. (1958). The characteristics of a helping relationship. Personnel and Guidance Journal, 37(1), 6–16. https://doi.org/10.1002/j.2164-4918.1958.tb01147.x
Rogers, C. R. (1959). A theory of therapy, personality and interpersonal relationships, as developed in the client-centred framework. In S. Koch (Ed,), Psychology: A study of a science. Vol. 3: Formulation of the person and the social context (pp. 184–256). McGraw-Hill.
Rogers, C. R. (1967). On becoming a person: A therapist’s view of psychotherapy. Constable. (Original work published 1961)
Roy, B., & Steiner, C. M. (Eds.). (1988). Radical psychiatry: The second decade. www.radikale-therapie.de/DL/TSD.pdf . (Original work published 1980)
Salmond, A. (2017). Tears of Rangi: Experiments across worlds. Auckland University Press.
Santos Alexandre, R. (2021). The interval between humans: A probe into the possibilities of being. Culture & Psychology.
Schiff, J. L., Schiff, A. W., Mellor, K., Schiff, E., Schiff, S., Richman, D., … Momb, D. (1975). Cathexis reader: Transactional analysis treatment of psychosis. Harper & Row.
Singh, J., & Tudor, K. (1997). Cultural conditions of therapy. The Person-Centered Journal, 4(2), 32–46.
Steiner, C. M. (1966). Script and counterscript. Transactional Analysis Bulletin, 5(18), 133–135.
Steiner, C. M. (1971). The stroke economy. Transactional Analysis Journal, 1(3), 9–15.
Steiner, C. M. (1972). Radical psychiatry. In H. M. Ruitenbeek (Ed.), Going crazy: The radical therapy of R. D. Laing and others. Bantam Books.
Steiner, C. M. (1974). Scripts people live: Transactional analysis of life scripts. Grove Press.
Steiner, C. M. (Ed.). (1975). Readings in radical psychiatry. Grove Press.
Steiner, C. M. (1980). A manual on cooperation. Issues in Cooperation and Power.
Steiner, C. M. (1981). Radical psychiatry. In R. J. Corsini (Ed.), Handbook of innovative psychotherapies (pp. 724–735). Wiley.
Steiner, C. M. (1984). Emotional literacy. Transactional Analysis Journal, 14(3), 162–173.
Steiner, C. M. (1988). Power. In B. Roy & C. M. Steiner (Eds.), Radical psychiatry: The second decade (pp. 11–23). www.radikale-therapie.de/DL/TSD.pdf . (Original work published 1980)
Steiner, C. M. (2001). Radical psychiatry. In R. Corsini (Ed.), Handbook of innovative psychotherapies (2nd ed.; pp. 578–586). Wiley.
Steiner, C. (2009). The heart of the matter. Love, information and transactional analysis. TA Press.
Steiner, C. M. (2019). Confessions of a psychomechanic – Excerpts on power. In K. Tudor (Ed.), Emotional activist: The work and life of Claude Michel Steiner (pp. 147-154). Routledge.
Taft, J. (1973). The dynamics of therapy in a controlled relationship. Macmillan. (Original work published 1933)
Tudor, K. (2014). Introduction. In K. Tudor & G. Summers Co-creative transactional analysis: Papers, dialogues, responses, and developments (pp. xix–xxix). Karnac Books.
Tudor, K. (2016). “We are”: The fundamental life position. Transactional Analysis Journal, 46(2), 164–176. https://doi.org/10.1177/0362153716637064
Tudor, K. (2020). Transactional analysis and politics: A critical review. Transactional analysis and politics [Special issue]. Psychotherapy and Politics International, 18(3). http://dx.doi.org/10.1002/ppi.1555
Tudor, K., & Merry, T. (2002). Dictionary of person-centred psychology. Whurr. (Republished by PCCS Books 2006; also published in Japanese 2008)
Tudor, K., & Summers, G. (2014). Co-creative transactional analysis: Papers, dialogues, responses, and developments. Karnac Books.
Tudor. K., Rodgers, B., Smith, V. (2022). Tihei mauri ora – Contact, culture, and context. Person-Centred & Experiential Psychotherapy, 21(2).
Tworney, S. (2020). What is the difference between contacts and connections on LinkedIn? https://kennected.org/en_nz/contacts-vs-connections-linkedin/#:~:text=A%20contact%20is%20someone%20you,a%201st%2Ddegree%20connection%20to.
van Beekum, S., & Krijgsman, B. (2000). From autonomy to contact. Transactional Analysis Journal, 30(1), 52-57. https://doi.org/10.1177/036215370003000106
Vanderburgh, J. (1977). Decontaminating competition. Transactional Analysis Journal, 7(4), 324-326. https://doi.org/10.1177/036215377700700411
Watsuji, T. (1996). Rinrigaku: Ethics in Japan. State University of New York Press.
Wyckoff, H. (1970). Radical psychiatry and transactional analysis in women’s groups. Transactional Analysis Bulletin, 9(36), 127–133.
Wyckoff, H. (1975). Women’s scripts and the stroke economy. In C. M. Steiner (Ed.), Readings in radical psychiatry (pp. 44–54). Grove Press.
Wyckoff, H. (Ed.). (1976). Love, therapy and politics. Issues in radical therapy – The first year. Grove Press.
Wyckoff, H. (1977). Solving women’s problems: Through awareness, action and contact. Grove Press.
Wyckoff, H. (1980). Solving problems together. Grove Press.
Wyckoff, H., & Steiner, C. (1971). Alienation. Berkeley [Special issue]. The Radical Therapist, 2(3), 4.
Yalom, I. (1980). Existential psychotherapy. Basic Books.